■親父バックパッカーInベトナム【電子書籍】[ 松岡 淳平 ]


親父バックパッカーInベトナム【電子書籍】[ 松岡 淳平 ]
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<p>親父バックパッカーInベトナムより抜粋</p> <p>大河を船で下りたいという思いでここに来たので、特に行きたいところを調べていなかった。なんとなく町の中へ入ってゆき、最初に、小さな公園に建つ立派な銅像に出会った。後で調べてみると中国(当時の元・モンゴル軍)の侵攻(一二五七年、一二八二年、一二八八年)を三度にわたり撃退した英雄、陳興道(チャン、フン、ダオ)将軍とのことだった。ベンタイン市場前のロータリーから伸びる主要道路にこの将軍の名前が付いているし、近くの公園にも大きな銅像があったから国民的英雄なのであろう。</p> <p>ちなみに中国(当時の元軍)が朝鮮(当時の高麗軍)と一二七四年(文永の役)、一二八一年(弘安の役)に日本へ侵攻した元寇が二度あったが、壊滅させたのは台風だった。だが、神風と名付けられたその台風が来るまで、一歩も上陸させなかった英雄の名前を私は知らない。</p> <p>当時のベトナムは中国の侵攻を武力で阻止しながらも基本は朝貢外交だったようだ。それは強大な中華帝国の近隣にある国の現実的外交なのかもしれない。近年、西沙諸島の領有権争いでベトナムは一歩も引かない姿勢をとっているが、友好親善の方針も見せているようだ。ベトナム社会主義共和国の筋を通しての対中国友好親善と大韓民国の何が何でも友好親善と見える差は歴史的文化的DNAの違いなのだろうか。</p> <p>当時、アジア大陸の東端から西端まで席巻した中華帝国の属国にならなかったインドと日本はヒマラヤ山脈と東シナ海に隔てられているという地政学的な優位があったと納得できる。しかし、陸続きのベトナムと韓国が、方や独立を守り、方や早々と属国化したのは陳興道将軍の後世に残した遺功か、将軍を生んだベトナムの風土によるものなのか興味がある。それにしても朝鮮の元時代における慰安婦的外交と現今の慰安婦問題を利用した外交は歴史的つながりがあるのだろうか? 上記のことはあとでウィキペディアを調べて分かったことだから、そのときはこの銅像が誰かもわからず、適当に歩いていただけである。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。

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