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■テ?ューイか?見た大正期の日本と中国 家族への手紙 [ ジョン・デューイ ]
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家族への手紙 ジョン・デューイ アリス・チップマン・デューイ 論創社デューイガミタタイショウキノニホントチュウゴク ジョン デューイ アリス チップマン デューイ 発行年月:2024年01月22日 予約締切日:2024年01月21日 ページ数:216p サイズ:単行本 ISBN:9784846023126 デューイ,ジョン(Dewey,John) 1859ー1952。合衆国バーモント州バーリントン市生まれ。父親は食料品販売会社を経営。バーモント大学卒業後、高校教師を数年務める。ジョンズ・ホプキンズ大学院に進み、徹底したヘーゲル主義者として哲学者の道を歩み始める。教育学・心理学の研究を深めるなかで観念論を脱却する。教師として赴任したミシガン大学で1歳年上の学部生アリス・チップマンと出会い、1886年に結婚。同年、哲学科助教授に昇進する。招聘されたシカゴ大学で哲学科と教育学科の主任教授を兼任。実験学校=付属小学校の創設を主導したが、校長アリスの処遇をめぐる対立から妻と共に退職。90歳を超えても旺盛な執筆活動は衰えなかったが、52年6月、肺炎で亡くなった デューイ,アリス・チップマン(Dewey,Alice Chipman)(デューイ,アリスチップマン) 1858ー1927。ミシガン州フェントンに生まれる。父親は家具製造職人。神学校を卒業し、教員として働いた後、ミシガン大学に入学。1886年にジョンと結婚。家事・育児への全面的協力に支えられて、初等教育の諸課題に実践的に取り組む。教育改革に影響を及ぼしたシカゴ大学教育学部付属小学校の創設と運営に大きな役割を果たした。ジョンに同行して訪れた日本・中国で、高等教育拡大や参政権獲得などフェミニズムの論を展開した。27年、高血圧・動脈硬化症が悪化し、亡くなった デューイ,エヴリン(Dewey,Evelyn) 1889ー1965。デューイ夫妻の第二子・長女。ニューヨーク市のバーナード・カレッジに在籍中、女性労働組合連盟の活動に参加。1909年にニューヨークの縫製工場で起きたストライキを支援する。卒業後も教育改革などの社会活動に意欲的に取り組んだ。教育改革の主要著作のひとつとされる『明日の学校』(1915)は、父ジョンとエヴリンの共著。34年に結婚(著作・講演活動では旧姓使用を継続した)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 日本からの手紙(一九一九年二月〜四月)(東京発 二月(日付なし)月曜日/二月十一日 火曜日(東京発)/東京発 二月十三日 木曜日/東京発 二月(日付なし)/二月二十二日 ほか)/中国からの手紙(一九一九年五月〜八月)(上海発 五月一日/上海発 五月二日/上海発 五月三日/上海発 五月四日/上海発 五月十二日 月曜日 ほか) デューイ夫妻から、アメリカの家族に宛てた64通の手紙。1919(大正8)年1月、コロンビア大学教授デューイはアリス夫人とともに日本へ向けて旅立った。2か月余の日本滞在の後、訪れた中国では「五四運動」の大衆的高揚を目撃。家族への私信には、各地で夫妻が見聞きした両国の社会の様子や人々の暮らしが詳述されている。日本到着直後から8月まで書き継がれた、日本発27通・中国発37通の全文を収録。 本 人文・思想・社会 哲学・思想 西洋哲学
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