■持たざる者たちの文学史 帝国と群衆の近代 [ 吉田裕(文学) ]


持たざる者たちの文学史 帝国と群衆の近代 [ 吉田裕(文学) ]
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帝国と群衆の近代 吉田裕(文学) 月曜社モタザルモノタチ ノ ブンガクシ ヨシダ,ユタカ 発行年月:2021年03月 予約締切日:2021年03月05日 ページ数:413p サイズ:単行本 ISBN:9784865031072 吉田裕(ヨシダユタカ) 1980年生。東京理科大学准教授。一橋大学言語社会研究科博士課程後期修了。専門はカリブ文学および思想、文化研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 第1部 群衆(帝国主義)(人びとが集まることはなぜ「危険」なのか?ーポー、ボードレール、コンラッドに見る都市と植民地の群衆/群衆と共同体、そして不可能な抵抗ージョウゼフ・コンラッド『ロード・ジム』と『ノストローモ』)/第2部 大衆(革命と反帝国主義)(歴史記述、あるいはハイチ革命における友愛の問いーC.L.R.ジェームズ『ブラック・ジャコバン』/バンドン、脱植民地化の未完のプロジェクトーリチャード・ライト『カラー・カーテン』)/第3部 人民/国民(脱植民地化)(植民地主義と情動、心的な生のゆくえージョージ・ラミング『私の肌の砦のなかで』と『故国喪失の喜び』における恥の位置/モーセと抵抗の考古学ーグギ・ワ・ジオンゴ『一粒の麦』のネーションと母性性)/第4部 民衆(新植民地主義)(「諷刺か、食人主義か」ーグギ・ワ・ジオンゴ『十字架の悪魔』の新植民地主義批判) なぜデモや抗議活動の参加者は群衆や暴徒と名指されるのか。なぜ人が集まると危険とみなされるのか。本書ではこれらの眼差しの起源を植民地統治にみる。英米文学からカリブ/アフリカ文学までを扱い、植民地出身の知識人が、否定的な群衆像をいかにして大衆や人民、民衆という主体へと肯椎的に読み替えたかをたどる。ジョウゼフ・コンラッド、C.L.R.ジェームズ、リチャード・ライト、ジョージ・ラミング、グギ・ワ・ジオンゴらをめぐる、新たな第三世界文学論。 本 人文・思想・社会 文学 戯曲・シナリオ

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