■【ふるさと納税】俳聖かるた


【ふるさと納税】俳聖かるた
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俳聖かるた「俳聖」とは古今に並ぶ人がいないくらい優れた俳人という意味で主に松尾芭蕉を指します。 松尾芭蕉のほかにも、与謝蕪村、小林一茶などの俳句も絵札になっています。大垣市は「奥の細道」結びの地松尾芭蕉 (寛永21年〜元禄7年[1644〜1694]) 芭蕉は、正保元年(1644)、伊賀上野(現・三重県伊賀市)の松尾与左衛門の次男として誕生します。次男であったため、士大将藤堂新七郎家に奉公し、藤堂家では嫡子の良忠(蝉吟)に近習役として仕えました。良忠は京都の北村季吟から俳諧の教えを受けており、芭蕉も俳諧に親しんでいきます。 しかし、23歳のときに主人の良忠が亡くなると、藤堂家を去ります。29歳で江戸に移住し、34・35歳の頃に俳諧宗匠として独立します。その後、日本橋から深川(現・東京都江東区)に移住し、俳諧の道を究めることに専念しています。「奥の細道」とは『奥の細道』は、江戸中期の俳諧紀行です。元禄2年(1689)3月、松尾芭蕉が門人の曽良と江戸深川(現・東京都江東区)を出発、奥州・北陸の名所・旧跡を巡り、8月に大垣に至るまでの紀行を、発句をまじえて記したものです。 元禄2年3月27日に江戸深川を出立した芭蕉は、門人の曽良をともない、東北・北陸地方をめぐり、8月21日に大垣に到着しました。およそ150日、5か月間にわたる旅の道のりは、2,400キロにもおよび、1日に30キロから40キロほど歩く日もありました。 芭蕉にとって『奥の細道』の旅は、歌枕(平安時代や鎌倉時代に和歌が詠まれた名所)をめぐりながら古人と心を重ね合わせ、俳諧を和歌や連歌と同等の格調高い文芸に位置づけてみたいという意識を強く持った旅でした。また、東北・北陸地方の人々や未知の俳人たちとの出会いにも大きな期待を寄せていた旅であり、実際に各地の人々と交流し、その中から数多くの名句が生まれてきました。

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