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■塩引鮭切り身 一ビレ(カマ)鮭 塩引き鮭 越後村上うおや 村上市 新潟県
村上名産塩引き鮭 一鰭(いちびれ)(カマ)1切 越後村上では昔から塩引き鮭は大晦日の年取り魚として食されています。 特に「塩引き鮭の一びれ」はお正月に年神様をお迎えするためお供えされています。 一尾より2切れしかとれない貴重品です。 越後村上では昔から塩引き鮭は大晦日の年取り魚として食されています。 特に「塩引き鮭の一びれ」はお正月に年神様をお迎えするためお供えされています。 大きなヒレの部分をそのまま残した“一鰭(いちびれ)”は、塩引き鮭ー尾から2切れしか取れない貴重な部位【カマ】の部分のこと。 村上では昔から塩引鮭の一びれは神棚に供えたあと、その家の家長の膳にのるしきたりがあります。 一切れは神様にお供えし、そしてもう一切れは一家の大黒柱しか食べることを許されませんでした。 それは、この【一びれ】が鮭が生まれた時から一生を終えるまで一時たりとも休むことなく動き続け、 果ては体が止まっても動き続けた、という故事に由来します。 それだけ強い生命力をもつ場所として、一家の大黒柱がそれにあやかるべく食したというのです。 ※冷凍でお届けの場合は冷蔵庫に移し、解凍をしてから焼いてお召し上がりください。越後村上の鮭の歴史は古く、平安時代には遠く京都の王朝貴族に献上されていました。 城下町村上 鮭ものがたり 越後村上の鮭の歴史は古く、平安時代には遠く京都の王朝貴族に献上されていました。 江戸時代には村上内藤家の藩士青砥武平治が鮭の回帰性を発見、 世界で初めて「種川の制」という自然ふ化増殖事業に取り組み、 その成功がますます村上の財源を潤し鮭文化を発展させました。 明治に入り鮭産育養所を設置し、その収益金の一部を育英基金として教育に役立て、 多くの人材を世に送り出しました。 この育英制度で進学した人たちは「鮭の子」と呼ばれました 明治11年アメリカの孵化技術を取り入れた日本初の人工孵化に成功。 減少していた鮭の遡上数も、明治17年に73万7千378尾を記録するまでに増えました。 これは、単一河川では日本の最高記録になっています。 獲れた鮭から採卵をして、白子をかけ受精させ、育養所と県の孵化場で育てたり、 県内の各孵化場に受精卵を送るなど、 村上の三面川は文字通り県内の鮭の親川と言えます。 越後村上うおやは寛政年間、初代上村助五郎が鮭の元売業を起こし、 以来鮭と共に二百年、現在の店主で九代目を数えます。 ※塩引鮭は、クール冷凍便でお届けいたします。 冷凍できない商品と同梱でお届けの場合は、冷蔵でのお取り扱いとなります。